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「日本人は服を難しく考えすぎる」デザイナー八木佑樹が語るNY流“バイブス”な服作り

Image by: FASHIONSNAP

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 誰もが知る世界的ストリートブランドを渡り歩き、2016年に自身のブランド「モンマルトル ニューヨーク(MONTMARTRE NEW YORK)」を立ち上げたデザイナー?八木佑樹。グラフィックをジャカードで表現したストールが人気を集め、横尾忠則や「ピー?オー?ティー?アール(POTR)」とのコラボレーションも話題を呼んだ。そんな八木がニューヨークで学んだバイブス至上主義の服作りと、「1990年代の残り物で食い繋いでいる」という日本ファッションの危機とは。

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■八木佑樹
 1993年11月5日、鳥取県生まれ。幼少期をニューヨークで過ごす。文化服装学院、アメリカのパーソンズ美術大学、ベルギーのアントワープ王立美術学院に通いファッションの基礎を学ぶ。ニューヨークのストリートブランドをはじめ、数々のメンズブランドで研鑽を積み、独立。2016年、ヘイリー?シャンポーと共に「モンマルトルニューヨーク(MONTMARTRE NEW YORK)」を立ち上げる。2024年にはアメリカ発のファッションブランド「バウルズ(vowels)」を設立。同年のパリメンズファッションウィークでコレクションを発表した。

卒業証書で仕事ができるわけじゃない

??まずは、八木さんのファッションの原体験を教えてください。

 「ステューシー(ST?SSY)」ですね。ニューヨークで暮らしていた子どもの頃、よく着ていたんです。当時のストリートブランドといえば、もちろん「ア ベイシング エイプ?(A BATHING APE?)」や「シュプリーム(Supreme)」も人気でしたが、子どもに手が出せる値段ではなかったんですよ。ステューシーはセールならTシャツが20ドルくらいだったので、母に買ってもらっていました。

??やはりストリートファッションがコアにあるんですね。

 今振り返ると少しダサいというか、いなたいデザインなんですけどね。当時はこんなにイケている服があるのかと夢中になり、子どもながらにファッションに目覚めまして。いつかステューシーで働きたいと思うようになって、この道を志しました。その後、幼い頃に着ていたそのTシャツをデザインした方と出会い、一緒に仕事をさせてもらったり、モンマルトルニューヨークのロゴを作ってもらったりするようになって。あの原体験がそのまま今の自分に繋がっています。

??パーソンズ美術大学とアントワープ王立美術学院で学ばれていますが、この2校に通ったのはどういった経緯で?

 パーソンズは、ファッションデザインをビジネスとして捉える教育を魅力的に感じたんです。売れるかどうかが重要な尺度で、職業訓練のような側面もありました。ただ、入学してすぐ「スティーブン アラン(Steven Alan)」でアシスタントを始めたので、授業などに関してはあまりよく覚えていなくて。卒業証書で仕事ができるわけじゃないですし、学校よりも社会に揉まれて学ぶことのほうが100億倍価値があったように思います。

??ただ途中でアントワープに留学したんですよね?

 マルタン?マルジェラ(Martin Margiela)やドリス?ヴァン?ノッテン(Dries Van Noten)をリスペクトしているし、やはり世界一の学校だと思っていたので。コンセプトの組み立て方から始まる物作りのプロセスを丁寧に学べる、パーソンズとは真逆のスタイルが特徴で、どちらの視点も持っておくべきだと感じたんです。スティーブン アランの上司の後押しもあり、入学を決めました。

??どのような学びがありましたか?

 とても厳しい環境で、毎日怒られてばかり。褒められることはめったにありませんでした。ただ、1年目の終わりに初めて褒められたことがあって。僕は絵心がなくてデザイン画が苦手だったのですが、無理にうまく描こうとせず、ラフ画を描いたんです。その絵を見た先生が「これこそあなたらしい作品だよ」と初めて認めてくれて。「大成した卒業生にも絵が下手なデザイナーはたくさんいたけど、彼らも下手なりに自分の世界観を表現していた」と話してくれました。つまり、大切なことは出来不出来ではなく、どれだけ自分の味を出せるか。自分の芯を持って、何を言われても曲げないことだと教わりました。まさに、クリエイティブディレクターの育成学校のような場所です。ただ、アントワープでの一番の収穫は仲間が出来たこと。彼らとは今も一緒に仕事もしていて、長い付き合いになっています。

??モンマルトル ニューヨーク立ち上げに至る経緯は?

 まず、アントワープに留学して1年が経った頃、いつか働きたいと思っていたニューヨークのストリートブランドに学校を辞めて参加しました。実はそれ以前に、ニューヨークの中華屋でそのブランドのディレクターに偶然会ったことがあって、ファンだったので声を掛けて仲良くなっていたんです。連絡を取り合う中で「デザイナーを探している」と誘われて、学校で学ぶ自己満足のデザインではなく、商売として成り立つデザインをしたいという思いもあり、ニューヨークに戻りました。そのブランドをはじめ、ストリートファッションの世界で3本の指に入るブランドを渡り歩いて、ロサンゼルスに引っ越したりしながら10年近くアメリカで働いてきました。

??そして、ついに独立をされた。

 学生時代に作ったストールが好評だったのでとりあえずインスタグラムを開設してみた、というのが始まりだったんです。2018年に、そのルックがアメリカの「ハイプビースト(HYPEBEAST)」に取り上げられて。当時はサッカーW杯の真っ只中で、サッカーマフラー風のアイテムがフィーチャーされました。その記事の反響はとても大きくて、ロンドンのセルフリッジズ(Selfridges)からオーダーが入ったりしましたね。自分たちだけでは回しきれなくなって、セールスチームに入ってもらうようになり、やっとビジネスになってきたという感じです。気づいたら独立していたという感じで、全く計画的ではありませんでした。色々な引き合いとご縁と成り行きがあって、流れに任せて今に至ります。

「素っ裸の自分」を晒け出す服作り

??新作となる2026年秋冬コレクションの制作背景を教えてください。

 深く考えずに、直感的にいいと思ったものを作りました。簡単なことで、それだけです。ブランドのコンセプトやシーズンテーマみたいなものは特になくて、それぞれのストールが独立したデザインになっています。グラフィックも、自分が好きな19世紀の絵画を抽象化したものや、最近ハマっている「グリとグラ」に着想を得た絵本風のカエルなど、単に好きなものや思い入れのあるものをストレートに描いているだけなんです。それぞれのモチーフに深い意図はありません。

??八木さんの個人的な記憶や感覚をデザインに落とし込んでいるということでしょうか?

 今回の新作でいえば、風車は学生時代に生地の買い出しで訪れたオランダの風景、うさぎは生まれ故郷の鳥取の神話「因幡の白うさぎ」から着想を得たもので、そういった側面は確かにあります。僕が歩んできた人生、そこで得た経験や感性は二つとないもので、そうしたパーソナルな部分をデザインに取り入れることは、星の数ほどあるブランドの中で違いを生むための自然な方法ですから。ただ、そんなことはお客さんにとってはどうでもいいこと。絵を見るみたいにもっと直感的に、ただその色や柄が好きかどうかで選んでほしいです。

??デザインをする上で、これだけはしないと決めていることはありますか?

 妥協です。例えば、柄の色の組み合わせを考えるとき、ああでもないこうでもないと何千通りも試します。自分はそれが苦しいとは思わないので、天職なんだと思います。好きなことで生計を立てられている分、その好きに嘘をついたら成り立たない。だから、マスに向けて手に取りやすいデザインを打ち出したり、分かりやすいコンセプトやストーリーをうたうようなことはしません。ただ自分がいいと思うものを、絵を描くようにアイテムに落とし込むだけ。モンマルトル ニューヨークは素っ裸の自分そのままなんです。好きなことを愚直に曲げずにいれば、共感してくれる人がだんだんと増えていきます。コミュニティはそうして生まれるんです。

??八木さんのどういった経験が、それほど自分を信じられる原動力になるのでしょうか?

 孤独と失敗をたくさん経験しているからだと思います。日本に移住した15歳の頃から、古着屋で働いて買い付けのために海外を転々としたり、アントワープに留学した時もニューヨークに渡って仕事をもらった時も、頼れる人はいなくて自分の身一つ。人種差別にも何度もあったし、孤独でした。そのうえ、買い付けのフライトに遅刻しかけたり、コレクションのデータを誤って消去してしまったり、とんでもない失敗もしてきました。だからこそ、何とかここまで生きてこられたという自信になりましたし、自分が不完全であることを受け入れるようにもなりましたね。

 パターンや縫製など服を構成する重要な要素はいくつかありますが、デザイナーに求められるのは全体のバランスを整える能力、結局はセンスです。自分が分からない専門的な部分は、知見のある職人さんをしっかり頼ればいい。そういう意味で、出来ないことは出来ないと素直に認めて、人を頼ることができないと務まらないと思います。何事においても大切なのはスキルではない。情熱と妥協しない粘り強さ、ネバーギブアップの精神。この3つがある人は、やっぱりかっこいいです。

服を難しく考えすぎる日本人

??話は変わりますが、昨今はテーラードスーツを軸とするクラシックなスタイルが再びトレンドとなっています。ここ10数年支配的だったストリートファッションが下火になりつつある状況を、どう感じますか?

 ストリートファッション由来のTシャツやフーディー、グラフィックを軸にしたデザインというのは、買いやすく売りやすい。その分飽和するのも早いですから、クラシックなスタイルへと大きく揺り戻すのは当然のことです。別の話ですが、景気が悪化して可処分所得が減り続けることで、ベーシックなものばかりが売れるという傾向もますます強まっています。かといって、そうした流れに自分のブランドを適合させようとは思いません。僕らが今更ベーシックやクラシックなスタイルを打ち出しても、それは二番煎じ三番煎じにしかならない。先発のブランドには完成度でも価格競争でも及ばないでしょう。誰でも簡単にブランドを始められる時代で、生き残っていくには他所と違うオリジナルであり続けることが必要。なので、トレンドに合わせることはしません。市場の99%を逃したとしても、1%のコアなファンを夢中にさせるデザインであればいいんです。

??長年海外でファッション業界に携わってきた立場から、日本のファッションをどう見ていますか?

 コンセプト過剰というか、実際のプロダクトがそれに追いついていないように感じることがよくあります。同じような服ばかりが売られていて、それらを差別化するために過度に情報を付加している印象です。日本は起承転結を好むお国柄だと思います。なぜその結果に至ったのかということについて、筋の通った物語が求められる気がしていて。その結果、服も説明的になりすぎる。一方で、ニューヨークで学んだ服作りは全部バイブスなんです。例えば、あなたは今「アダム キメル(ADAM KIMMEL)」のスヌープ?ドッグ期のTシャツを着ていますが、車やヒップホップに詳しいですか?

??いえ、全くです。どちらもあまりよく知りません。

 でも、そのTシャツを気に入って着ていますよね?それでいいんです、それがバイブスです。特に深い意味や文脈はないが、単にいいと思ったから選ぶということがあっていい。日本人は服を難しく考えすぎるきらいがあると思います。世界での服作りはもっとシンプルなんですよ。

??なるほど、国民病なのかもしれませんね。

 今話したようなことを含め、もっと外の世界に目を向けるべきではないかと。日本はもはや、ファッションやカルチャーの中心地ではない。特にメンズファッションは、いまだに1990年代の残り物で食い繋いでいる状態だと感じるんです。僕たちはNIGO?さんや高橋盾さんに憧れて育つことができたけど、次の世代はどこに夢を見たらいいんだろうって。服飾学生が就職したいブランドランキングで1位が「ユニクロ(UNIQLO)」だったりしますよね。日本で食っていくことを考えたら真っ当な選択です。でも、ファッションデザインって安定を求める仕事になってきてしまったんだなと思うんです。

 もっとチャレンジして、もっと失敗してほしい。そのためにも世界を見てほしい。坂本龍一さんはかつて「日本でCDを100万枚売るよりも、世界10ヶ国でそれぞれ10万枚ずつCDを売るほうが、作品のクオリティを落とさずに済む」と語っていましたが、僕もこれに同意します。広いマーケットを見て、セルアウトせずに自分の芯を守り続けていれば、だんだんと実績が積み上がって認知も広がっていく。大切なことは尖り続けることです。

??最後に八木さんの今後の展望について教えてください。

 自分のブランドだけでなく、他所のコンサルティングも行っているので、必要としてもらえる場所で頑張っていくだけですね。来年の秋ごろのローンチを目指して、新たなプロジェクトも計画中です。僕はシャツが大好きなので、シャツブランドを始めようと思っているんです。期待していただければ。

最終更新日:

FASHIONSNAP 編集記者

佐久友基

神奈川県出身。慶應義塾大学法学部を卒業後、製薬会社に入社し着道楽を謳歌するも、次第に"買うだけ"では満足できなくなりビスポークテーラー「SHEETS」に弟子入り。4年間の修行の末「縫うより書く方が向いている」という話になり、レコオーランドに入社。シズニでワンドアなK-POPファン。伊勢丹新宿店で好きなお菓子はイーズのアマゾンカカオシュー。

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